石川九楊『日本書史』2016/02/13購入 家

アマゾン

推薦の辞:白川静氏「作品をして語らしめた記念すべき労作」

石川九楊氏の『日本書史』は、既刊の『中國書史』と併せて、東洋におけ る最も深奥なる領域をもつ書道史の全体を構成する、記念すべき労作である。「記念すべき」というのは、画期的であることを意味する。従来の書道史は、概ね 既存の書論的述作を時間的に排列して、書道史的外観を与えるに過ぎなかった。しかし氏の書史は、氏の懐抱する書の表現論を、書史の示す精神史的軌跡の解明 に適用し、書史のもつ自己衝迫的な内面、そのいわば必然性を追求するところにあって、書史はいわば自己開示的に、その精神史的様相を明らかにする。記述的 であるよりも、作品をして語らしめ、しかもその史的客観性を確かめようとするものである。
わが国の書史は、往々にして中国書史の反映的な意義の一 面が強調され易いが、決してそれに留まるものではない。中国の書は、むしろ自己媒介的に揚棄されて、それはやがて著者のいう日本時代の書を創出する。早期 仮名の雅健にして優美なる世界は、決して正草・狂草から直接に出たものではなく、また禅家の墨蹟の類も、その特異な精神的世界の表出として理解される。殊 に白隠以後の、近代書史の系譜を予見するような書史については、氏の創見と認むべきものが多い。「途中乗車」「途中下車」という軽妙な表現によって、日本 書史の特異性が平易に語られている。
近代書についての先駆的な試みは、わが国において極めて活発大胆に行われているが、中国においてはなお旧套を 墨守する傾向が著しい。両国書道の交流が盛んな時期にあって、この書は日本書の書史的立場を明らかにするものとして、理論的にも日本書の将来に、一つの指 標を与えるものとなるであろう。日本の書のためにも、また中国と併せて独自の芸術としての領域をもつ東洋の書の、その精神史的軌跡を明らかにするために も、本書の刊行は極めて意義深いものであると考える。

推薦の辞:高階秀爾氏「書の歴史を文化史全体と結びつける」

著者 は、文字は話し言葉を転写する記号であるという西欧の言語学理論に基づく通念を否定し、少なくとも中国、朝鮮、日本などの漢字文化圏においては、文字=書 字の登場によって言葉そのものが新しく生まれ変わり、西欧その他の文化圏には見られない独自な展開を示したというきわめて独創的な視点に立って、書の歴史 を文化史全体の問題と結びつける。すなわち、漢字は一般にそう考えられているような単なる表意文字ではなく、表意・表音文字であるとともに言葉の発生源で あり、文化の原動力ともなる役割を果たしてきた。そして日本は、中国から漢字を取り入れたが、その後、中国にはない仮名文字(ひらがな、かたかな) を生み出したことにより、他のどの国にも例を見ない特異な二重複線言語国家としてその文化を発展させてきたという。このような見方は、これまで専ら西欧の 言語学をモデルとしてきた従来の日本語論には見られない斬新なものであり、日本語の本質を衝いた鋭い指摘として、学術的にも高く評価される。
『日 本書史』は、優れた書の遺品を中心に日本の書の流れを辿ったものであるが、この独自の書字文化観に基づいている故に、単なる書道史ではなく、書風分析を通 して日本文化の特質を浮かび上がらせる幅広さを持っている。特に中国時代、疑似中国時代、日本時代というこれまでにない新しい時代区分の提唱はきわめて説 得力に富み、文学、建築、美術などの他の文化領域にも大きな生産的刺戟を与えると期待される。書の持つ文化的機能に注目した独創的研究書として本書を心よ り御推薦申し上げる次第である。

内容(「MARC」データベースより)

紀元前200年から現代までの日本書道の流れを、中国から文字がもたらされた中国時代、仮名の発明された疑似中国時代、日本語の書が確立された日本時代に区分。各時代を代表する作品に即して日本の書道、書法の歴史を解説する。